下川塾長の思い出エピソード

『月刊絵手紙 (日本絵手紙協会刊)』 平成9年6月号より

昨年(※)11月から今年(※※)3月まで、私は毎週1回3人で共に絵手紙をかき続けた。
昼2時~5時半または6時ぐらいまで約3時間半ぐらい。私のオフィスで。
3人のうちの1人は登校拒否児であった。中学生の女の子である。
私はその女の子に「いっしょに絵手紙かかない?」って誘ったのである。

当初彼女は初めての絵手紙にめんくらったところもあったようだが、回数を重ねていくうちに、ぐんぐん上達していくのである。

やがて自ら精力的にかくようになり、絵に重ねる言葉も力強く、前向きになってきた。
雨の日も風の日も片道2時間近くかけて休まず通ってくる彼女に同情もしばしば。
ほんとうにいじらしいと思った。

絵をかきながらの何となく出てくる会話に、ほのぼのとした空気が流れて、また絵をかく。
だれともなしに話題が出て、その話題に参加するも絵をかくも自分の自由。
そしてまたかく。

そんなほのぼのとした中、彼女は「学校に行きたい、でも行けない」という複雑なプレッシャーを背負って参加していた。
きっとこの不思議な「やすらぎ空間」の中に自分の居場所を見つけたのだろう。

私自身も複雑な思いでスタートした「絵手紙かこうよ」の会だったが、知らず知らずホンワカした、ゆっくりした心地よい時間に時が過ぎるのを忘れてかいた。

ある時は書店に、またある時は八百屋さんに、またある時は九十九里浜に題材を求めて3人で歩いた。
昨年(※)の11月から今年(※※)の3月まで5か月間、3人にとってはとてもいい時、とても思い出深い時を持てたような気がする。

そして彼女は、今年(※※)4月から学校に行っている。
この1か月、学校に通い続けている。

よかった、よかった。今からもまたきっと、いろんなことがあるだろう。
でも今彼女は、「学校に行けない自分」とはさようならできたのだ。

よかったね。ひとまずよかった。行きたくて行きたくてしょうがなかった学校に行けた。そんな事実がこれからの彼女に、自信をもたらしてくれるにちがいない。

でもいったい、いったい何故、学校に行けたのだろう?

私は今、こう解釈している。
きっと絵手紙をかいたあの時間が、彼女に何らかの勇気を与えたにちがいない。
雨の日も風の日も、凍えそうな寒い日も休まず通い続けたという、何よりもの実績。
そして、自分で自分を励ました絵手紙の中の言葉。最後まで共にかき続けた私達との会話等々。
絵手紙を共にかきながらのいろいろな要因が、彼女に力を授けたんだ。......と。

※ 「昨年」は1996(平成8)年  ※※ 「今年」は1997(平成9)年